撮影記#3から37まで飛んですんません。大人の事情ってやつです知らんけど。
これも過去の記事を遠征用お出かけ日記に組み込んだためにリメイクしたものです。何卒。新幹線撮影記#3の続きとでも思ってやっておくんなまし。
ローカルで当初の予定にはなかったものの北上し、駅先ながらMax狙いで新幹線を撮影する事にしました。
J54、思えばこの頃からずっと腐れ縁だなあ…。いやなんなら気付いていないだけではやて号でも散々乗っていた説もある。
カッツカツ~てか16連なのに何面縦しとんの~~~~~~って感じです。原画見つけたら再現像しますわ。
引退1カ月前からなんでも真剣部の皆様からも大人気を博したかと思われるこの列車ですが、この頃は新潟まで16連で運行されていました。いつから湯沢で切り離しになったんでしたっけね?
やる気のなさが際立っているのはさておき、2階建て16両ってすごいですよね。あの東海道新幹線も16両ですけど、向こうより定員多いんですぜ。あの大動脈より。まさにMaxという愛称が似合っていた名車でした。
現美はしっかり撮ってやれないうちにとれいゆの引退もアナウンスされてしまいましたねえ。そのうちE8系が落成したらL54とL55も消えて、こまち号の血統なE3系は全滅…なのでしょうか。
続いてはいつの間にか仙台で廃車解体されてしまったP16編成。山吹時代にもお世話になっていたなあ。
ところで今思うと、Max末期とは324号と326号で充当車種が入れ替わっているんですねえ。
皆様もご存知のようにMax末期のダイヤでは1324CがJで326CがPでしたが、当時は真逆だったようで。
だからなんでここで面縦しとんじゃ当時のワイ。
レピーターに上りってあるってことは逆出発もできるんか…?
さて。急遽ノリで乗ることにした現美が返ってきましたので、これに乗って新潟に戻るとしましょう。
詳しい(?)乗車記に関してはこちらを。
ちなみに11号車=元ロザ(こまち時代)がハザとして発売されていたので、これもこれで乗り得だったなと。
現美は引退してしまいましたが、上越新幹線のうち新潟県内の駅では自由席車両のソファー*1や展示されている上記の座席など、数々の生きていた証が残っています。同じようにMaxの座席なんかも展示されたり開放されたりしたらなと思いつつ、皆様も新潟県内に上越新幹線でお越しの際には現美の遺品も見てやってくださいな(何様)。