ひがなり雑記帳

酒クズ電車ヲタクの独り言かも。

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【過去画#23】EF64形0番台 37号機(甲府常駐が中心かも)

は~~~~~~~~~~~~クソクソクソクソ。あけぼのの写真ないじゃん。ガキじゃん。は~~~~~~~~~~~~~~~~もう少し父親がまともな家庭に生まれていればな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。(ここまで管理人お得意の責任転嫁)

 

 

なんか管理人さんクソデカ溜息ついていますね。色々な意味で可哀想ですね。爆笑

ロクヨンゼロで最後まで現役車両として残った37号機の写真を少しだけですが…という感じでまとめていこうと思います。僕が小学生中学生の頃から撮り鉄をされている皆様には敵わぬ拙い記事ですが…。

 

 

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何かたまたま早起きできた時の返空です。眠かったので帰宅後ストゼロを胃袋に流し込んでブログ書いてそのまま寝たような…。

 

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甲府常駐送込みも37号機とはなかなか巡り合わせがよくなかったのでそこまで写真はありません。ていうか昨年5月のこれだけ。ところで緊急事態宣言で中学校って休校になっていたんでいたっけ、記憶にございませんわ。

 

 

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高崎所属の機関車ではありますが、甲府常駐機が甲府から関東に戻る前の仕業検査は甲府の電留線で行います。とはいったものの学業の兼ね合いもありますのであまり撮ることもできず、これしかないのですが…。

 

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そんな37号機ですが、基本的には甲府駅東側の留置線でおねんねしている事が多かったように感じます(八王子支社管内にいる時は)。E257系0代との組み合わせも色々な意味で貴重になるのでしょうか。

個人的には、甲府に引っ越す前から甲府駅のこの位置にはEF64がいるものだと思ってきた節もあります(37号機に限らず)。それ故に卒業するころにはたとえ動いていないとはいえ機関車が日常的に見られないかもしれないのは少し寂しいですね。

 

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ちなみに手元にある37が牽引する列車の写真はこんなもん工臨どうせ混む~と思っていたら新型コロナウイルスが流行し尚更行きたくなくなるし。くそったれ。まああけぼの時代にきっとお世話になっていたんだよな、ありがとう。

ちなみに昨年5月ぐらいに甲府工臨が荒れていた時がありましたけど、情弱なので推しのラジオ聞いて酒飲んでたので発車後にそれを知りました笑。青い客車が牽引されているなら僕も行きましたし、それが青森行なら乗りましたけど…。って書けば山梨人に田舎者だって馬鹿にされそう爆笑

 

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半信半疑で向かったら同業さんが沢山いたってやつ。自走最後と言われる回送の前の仕業検査ですから流石に集まりますよねえ。

 

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なんか早く起きる事ができたので、これも目撃頼りですがレポートの締切そっちのけでお見送りをしてきました。レポートそのものは無事に期限内に提出できたのでヨシ。山梨のローカル放送のどっかの局ではザンナナが高崎車両センターで保存だなんて報じられていたそうですが、そうとなればもうこちらでお目にかかることもないのでしょうね。そんな僕もあと1年すれば山梨は離れているので、山梨での被写体がまた減る事それ自体はどうでもいいです笑。ばいびーザンナナまた会う日まで。というか今日撮っておいてよかったかも。

 

 

 

一応手元にある37号機の写真はこんな感じ。実家に帰ってUSBを漁ったりPCいじればもう少しあるのでしょうが、それはまた気が向いた時にでも発掘するとしましょう。

ぼくは平成11年生まれということで次世代と言われても仕方のないアレですが、少なくともザンナナが長岡所属だった頃にだけでも若干お世話になってきたので、そういう意味ではここだけの話父親のエゴで押し込まれた山梨で少しだけご縁があったのはよかったのではないでしょうか。

 

工臨などが彼にとって晴れ舞台かはさておき、幼い頃に祖父母のいる街へ(途中までだけど)連れて行ってくれた釜の晩年を若干ながら撮ることができたのはよかったと思いたいところです。

 

 

 

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勝沼ぶどう郷駅の18号機のようにロクヨンゼロ自体は既に保存されていますから、ザンナナ自体が保存されるかはわかりませんが、何かしらの形で再会することができればなと思ってみたり…って思って下書きを進めていたらどうも高崎車両センターでの保存なんてニュースがありましたね。オタ向けに公開されるかは知りませんけど、もしJRさんが何かのイベントの際にでも善意で公開してくださるのであればぜひともあけぼのの缶をry

 

ロクヨンゼロがブルートレインの釜として脚光を浴びた1年は基本的にあけぼの専属(ただし、何か38号機が一時期北陸号に充当されていた気もします。)でしたから、できれば撮っておきたかったなと思う限りです。こればかりは悔やんでも悔やみきれませんし、ガキだと馬鹿にされても仕方ない…。いや、だったら当時の父のしゃべる事など無視して撮っておきなさいよ自分。山梨の田舎出身の父(と法的に定義されるじーさん)へのヘイトをブログで吐き出しても意味はありませんが、せめて将来ぼくが父親になる際には子供に好きな事をやらせてあげたいものですね。いや鉄オタになったらちょっとアレですけど。

 

 

 

 

末筆ながら、EF64形0番台の長らくの活躍お疲れ様でした。また、短い間ながら、大切な生まれ故郷への帰省でもお世話になりありがとう。

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